リモートワークの終焉はユニコーンの角を折る

Atlassianが買収するもIs there any Loom to grow?
らんぶる 2023.10.20
誰でも

営業嫌いを公言するも実は営業活動を欠かさない「口嫌売上正直」で知られるグループウェアの大御所Atlassianが、非同期動画コミュニケーションSaaSのLoomを買収した。Sequoia Capitalの担当パートナーAndrew Reed氏も、B2Bの優勝請負人Doug Leone御大がタームシートと共に送ったLoom動画と共に祝福している。SequoiaとLoomの創業者を引き合わせたのはFigmaの共同創業者Dylan Field氏とのこと。

Andrew Reed
@andrew__reed
1/4 Today we announced that @loom is being acquired by @atlassian for $975M cash. And now, importantly, I can finally share this video.

Before we did the Series B in 2019, all @sequoia partners sent "sales" Looms to the founders.

Doug Leone's instantly became part of Loom lore
2023/10/12 22:20
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AIブームもたけなわ、今やSaaS業界それも非同期ビデオ通信SaaSなど誰が関心を寄せるのかという声も聞こえてくるが、$975M(≒1,460億円)のオール現金買収というのは決して小さくない。ここでポンと現金を出せるのも、AtlassianのFCF粗利率が脅威的で、前四半期時点で$2B以上の現金がバランスシートに載っているからである。

四半期ごとのキャッシュバランス。直近12ヶ月の最低ラインでも$900Mあり、過去7四半期連続で増加。

四半期ごとのキャッシュバランス。直近12ヶ月の最低ラインでも$900Mあり、過去7四半期連続で増加。

米国連銀が翻意した2022年初頭(FY22Q2)からの安定したキャッシュポジションの積み上げは、経営判断の俊敏さと財務管理能力の高さを窺わせる。その一方で、LoomのFY23の売上は$35Mと噂されており、2021年のSeries C資金調達時のユニコーン評価額$1.53Bよりは大幅に下がるものの、TTMベースで売上マルチプル27を超えており、決して安い買い物とは言えない。Series C調達時の際に創業者たちが録画したLoom声明を観ると、コロナ禍のリモートファーストの波に後押しされた資金調達であったことは明白であり、ここから再度爆発的成長を遂げるとは考えにくい。$35Mという年間売上も、いちSaaS企業としては立派ではあるが、四半期の売上が$1Bに迫るAtlassianからしてみれば誤差の範囲であり、財務的観点からは単なる浪費にしかみえない。

https://icrm.indigotools.com/IR/IAC/?Ticker=TEAM&Exchange=NASDAQGS# 四半期ごとの売上は8四半期連続で増加

https://icrm.indigotools.com/IR/IAC/?Ticker=TEAM&Exchange=NASDAQGS# 四半期ごとの売上は8四半期連続で増加

よくわからない時は公式の見解に立ちもどるが吉である。Atlassianの公式ブログから引用する(ChatGPTで翻訳後微修正・強調は筆者)。

1億人以上の知識労働者が、日々より良い方法で仕事を計画し、管理し、遂行する方法を探しています。分散型ワークの敷衍により、チームが異なる地理的位置やタイムゾーンで非同期に作業するためのツールへの依存度が高まっています。ここで非同期ビデオが登場し、テキスト、プレゼンテーション、スプレッドシートなどの他のコミュニケーション手段と並んでいます。Loomの非同期ビデオ領域におけるリーダーシップとAtlassianのチームコラボレーションに対する深い理解が結集することで、私たちは市場に革新をもたらし、顧客がより豊かで人間らしい方法で働けるよう支援します。AtlassianがLoomの機能をプラットフォームに統合するにより、エンジニアはJIraのログを可視化できるようになり、リーダーはビデオを介して数多くの従業員と意思疎通を図ることが可能となり、営業チームは各顧客に適したアップデートビデオを送信できるようになり、人事チームはパーソナライズされた歓迎ビデオで新しい従業員を迎えられるようになります。AtlassianとLoomのAIへの投資を統合することで、顧客はビデオ、文字書き起こし、要約、文書、およびそれらから派生したワークフローの間をシームレスに移動できるようになります。
https://www.atlassian.com/blog/announcements/atlassian-acquires-loom

Atlassianにとって非同期コミュニケーションは中心的テーマである。チケット管理のJiraとWikiツールのConfluenceという売上の二大柱は、共に非同期コミュニケーションの円滑化をはかるツールであり、2022年のAnnual ReportでもConfluenceとJiraが主な収入源であることを、リスク要因として公開している。そのふたつと深く連携するかたちで総勢19個のサービスを展開しており、この密に連携されたエコシステムが、安定した顧客開拓とアップセルを可能にしている。

Loom創業者たちの買収発表ブログを読む限り、LoomもConfluenceやJiraのようにAtlassian製品群に対して横串で利用できるコミュニケーション手段として開発が続けられるようだ。このビジョンそのものには何も違和感を感じない。しかし$975Mの価値があるかと言われると、わからないというのが正直なところだ。

まずリモートワークそのものは、漸近的に増え続けるとしても、コロナ禍のような隆盛をみせることは、再度パンデミックが起きでもしない限りあり得ない。Zoomの株価が描くビッグサンダーマウンテンからもわかるように、コロナ禍は現代経済の特異点であり、何より今回Loomが2021年の評価額から37%減で被買収に踏み切ったという事実が、その最大の証左である。

2020年に559ドルをつけるも、今やコロナ禍直前とちょうど同じ水準に。その間にZoomの売上はTTMベースで8倍になっているので、実質マルチプルが1/8になっている。

2020年に559ドルをつけるも、今やコロナ禍直前とちょうど同じ水準に。その間にZoomの売上はTTMベースで8倍になっているので、実質マルチプルが1/8になっている。

また、Atlassianのツール群とLoomの間に本当に親和性があるのかも疑わしい。売上の柱であるJiraとConfluenceは、動画やミーティングでは見落としてしまいそうな詳細な情報や思考プロセスを、文章で正確に記録し、議論し、共有するためのツールである。割り振られたJiraチケットの本文がスッカラカンで、その代替として貼られたLoom動画の中でうだうだと説明されたら、「小学校からやり直せ」というコメントと共にチケットを差し戻してしまいそうだ。Confluenceの方はおそらく若干親和性があり、たとえば営業トレーニングWikiの中で、実際にどのように話せば良いのか実践したビデオを埋め込むみたいなことも考えられる。しかしWikiである以上、コンテンツの中心はあくまで文章であり続けるだろう。

他のツール群に関しても、OpsGenie(システム監視と通知)やJira Align(本家Jiraとは別の中長期計画作成サポートツール)など、どれも文字情報特有の正確さと簡潔さのバランスを最大限に活かした製品が多く、そこに非同期ビデオがどう活きるのか想像力の乏しい当ニュースレターには想像がつかない。仮にシナジーが生まれたとしても、元となる売上が小さいので、しばらくは財務的効果は期待できないだろう。

https://community.atlassian.com/t5/Tech-discussions/Welcome-Weekend-What-s-your-favorite-Atlassian-product/td-p/1589098 Atlassian製品の一部

https://community.atlassian.com/t5/Tech-discussions/Welcome-Weekend-What-s-your-favorite-Atlassian-product/td-p/1589098 Atlassian製品の一部

これがもしPowerPointやAdobe製品群のように、説明する対象そのものが画像や動画であったのなら、少しは話が違ったように思う。説明される対象そのものが視覚的であるからだ。動画資料の説明を文字だけでやるツラさは、クリエイティブに関するフィードバックを非同期コミュニケーションのみでやってみるとよくわかる。「1分13秒のところで画面右下に枠の外から飛び出してくる猫についてですが…」みたいになるわけで、発狂しそうになる。しかしAtlassianは視覚的資料を生成する製品をひとつも持っておらず、今後も作りそうにないので、この話はあくまで反事実妄想の域を出ない。

じゃあなんで買ったんやという話に戻るのだが、おそらく投資家からのM&Aプレッシャーもあったのではなかろうか。多くのVCの関心は既にSaaSからAIに移っており、ファンドの償還も迫る中、ARR$35Mのビジネスが$1.53Bの評価額でイン・ザ・マネーになるまでには早くても3年はかかる。そのリスクを取るくらいなら売上マルチプルのトップレンジで買収してもらおうというのは、十分に理解できる話だ。

最新のSeries Cで入ったICONIQとリードしたa16zは辛酸を舐めたことになるが、2020年春に$350Mの評価額でリードしたSequoiaにとっては手堅い結果と言えるだろうし、2019年初頭に$40Mの評価額でSeries AをリードしたKleiner Perkinsにとっては、文句なしのホームラン案件である。コロナという追い風が止み、初期投資家と後期投資家のリターンが乖離する中で、4年ほど面識のあったAtlassianの創業者たちに、売上マルチプル30近くで自社を売り込むことに成功した創業者たちの努力と胆力は、手放しで賞賛されるべきであろう。ひとまずお疲れ様でした!

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